「ったく……ウチはペット相談所じゃねえんだぞ……」 椅子に深く腰を掛け、人差し指で机を叩いているのは俺の兄貴である。 先程から何やら不機嫌そうに呟いているが、原因は依頼内容である。 「平和な証拠だよ。」 書類を整理しながら言ったが、兄貴の眉間の皺は消えそうにない。 「ウチのワンちゃんが、ウチの猫ちゃんがって……」 俺達は町で便利屋『ブラザーズ』を営んでいる。 と言っても、平和なこの街では事件なんてなくて、最近は迷子のペットを探す事が多い。 俺の手にある書類も、殆どがそれである。 それでも、生活には困らないから、俺は構わないのだけど。 ペットの行方不明だって、飼い主からすれば大事件なんだし。 なんて、兄貴に言っても益々機嫌が悪くなるだけだから言わないけど。 「そうだ、夕食は何がいい?」 机を叩く兄貴の指の音が止まった。 横目で見ると、兄貴は机を叩いていた指を顎に当て、少し考えているようだった。 「カレー。キノコが入ってないのな。」 「えー、キノコはいるだろ。」 「あんな不味い物、入れんな。」 兄貴は好き嫌いが多い。 子供の頃、一緒にご飯を食べている時、いつも嫌いなおかずを俺の皿に盛っていた。 そのせいだと思うんだけど、兄貴の身長はあまり伸びず、俺の身長はぐんぐん伸びた。 まあ、兄貴はそんな事実を勿論認めていない。 おまえが寝ている間に俺が手足を引っ張ってやったんだ、なんて言って。 ただ、最近好き嫌いが少し減ったのは、心の中では認めようとしているからなのかもしれない。 今更この歳になって身長が伸びるとは到底思えないけど…… 「じゃ、隣町まで買いに行ってくるから。」 「わざわざ隣町まで?」 兄貴の視線が、俺から俺の手元の書類に移動した。 おまえがいなくなったら誰がその書類を整理するんだ、と言う視線である。 「服も買いたいんだ。前の依頼でお気に入りのがボロボロになっちゃったし。」 前の依頼とは、猫が木から下りてこないので助けて欲しいと言うものだった。 やる気が無い兄貴の代わりに俺が木に登ったんだけど、木登りなんて久しぶりだし、挙句に猫に引っかかれるわで、大変だった。 その時に着ていた服は土塗れで使い物にならなくなってしまった。 兄貴もそれを思い出して、ああ、と声を出した。 「じゃ、俺のも買って来い。」 俺が服を買いにわざわざ隣町まで行くのは、この町では長身サイズのものが売っていないからである。 常人より体の小さめな兄貴サイズの物は幾らでもあるし、 「えー……自分で買ってきなよ……いつも俺に買いに行かせてセンスに文句言うだろ……」 問題はこれである。 「おまえが木から落ちる時に俺を下敷きにしなけりゃ、俺の服までボロボロになる事はなかったんだがな。」 「はいはい。どんな服がいい?」 「赤いの。」 出た。 抽象的過ぎる条件。 大体、俺自身が格好いいと思って買う物を、自分用と兄貴用に買う訳だから、いつも色違いでお揃いになってしまう。 不意に、ドアを外側からノックする音が聞こえた。 「はーい、どうぞー。」 俺の返事でドアが開くと、女性が入ってきた。 表情が少し曇っていて、一目で依頼人だと分かった。 「あの、お願いがあるんですけど……」 「はい。」 「ウチの犬が……」 兄貴の目が、一瞬にしてドス黒くなったのを俺は見逃さなかった。 俺は隣町まで買い物に、兄貴は単独でペット探しをする事になった。 兄貴の事だから、口では文句を言いながらも、ちゃんと熱心に探しているのだろう。 兄貴は落とし物とか、迷子を見つけるのが本当に上手い。 自分ではよく物を失くすし、それを見つけるのは本当に下手だけど。 「すみません、この服の色違いってありますか?あとサイズも。」 「何色をお探しですか?」 「緑のLサイズと、赤のえ、す……じゃなくて、Mサイズで。」 たまにあの人、Sサイズの服でも楽勝で着られる時があるからなあ。 勿論、俺がタグを外して、Sサイズだと気づかれないようにしてるんだけど。 久しぶりの買い物だったので、すっかり遅くなってしまった。 日は沈みかけているし、このままだと夕食の時間に遅れてしまいそうだ。 まいったな、カレーはレトルトに決定だ。 突然、猫の鳴き声が聞こえて、立ち止まった。 辺りを見回しても、猫の姿は見えない。 もしかしたら草むらの中にいるのだろうか。 また猫の鳴き声が聞こえた。 今度は鈴の音も。 飼い猫のようだが、飼い主の姿は見えない。 「あ。」 依頼されている、迷子の猫の内の一匹かもしれない。 買い物袋を両腕で抱え、草むらへと入った。 猫の鳴き声が近くなったので、振り返った。 途端、 「え?」 足の着地点に、土も草も無かった。 「え?」 右足が足場を求めて落ち、左足だけでは持ち堪えられなくなった体重が左足を道連れにし、同じように落ちていった。 その間、何秒かは分からない。 次の瞬間には俺は大声を上げながら穴に落ちていった。 「いったあ……」 目を開けると、そこは随分狭い穴のようだった。 しかし、立って腕を伸ばしても穴の淵には届かない深さだと、座った体勢のまま見上げて思った。 「にゃー。」 「あ。」 鳴き声で目線を下げると、自分の両足の間に猫がいた。 「えっと。」 猫の腹辺りを掴んで持ち上げた。 赤い首輪をつけ、大きな黄色い目をした黒猫だ。 首輪を覗き込むと、飼い主と猫の名前が書いてあった。 「やっぱり。」 依頼されていた迷子の猫だ。 初めて、兄貴より先に見つける事が出来た。 と、達成感に浸っている場合じゃない。 このままでは飼い主の元に返してあげる事も出来ないし、兄貴に自慢する事も出来ない。 穴を登ろうとしても、土は指をかければもろく剥がれ落ちてしまう。 「おーい、誰かいませんかー?」 声を出したけれど、もう日の沈みかかった町外れに、人が通る筈も無い。 幸い、夜になっても気温は寒くはならないだろうし、雨の心配も無かった。 朝になったら誰か気づいてくれるかなあ、なんて思っていると、猫が買い物袋を引っ掻いていた。 「あ、そうか。お腹空いてるのか。」 カレー用の食材を買ったので、袋の中は野菜ばかりである。 流石に人参や玉葱を生で食べるのは辛い。 生で食べられる唯一の物と言えば、 「牛乳、半分こしようか。」 返事をするように、猫が鳴いた。 日はすっかり沈んでしまった。 猫は俺の足の間で眠っていて、すっかり安心してしまっているらしい。 いいなあ、体が小さいからすっぽり収まれて。 こんな狭い穴じゃ長い手足も考え物だ。 俺も寝たいんだけど、いつ人が通るか分からないので、歌を歌ったりして暇を潰している。 お腹も空いたし、兄貴は一人でご飯食べてるのかな。 いや、あの兄貴が一人で用意出来るとは到底思えない。 どうせフライパンに好きな野菜だけ入れて炒めてたりとか、 カップラーメンの蓋を開けて、お湯を沸かして…… で、俺の帰りを待ってたら嬉しいなあ。 あ、カレーにするって言ったから、せめてご飯は炊いててくれてるかな? 俺の事を忘れて寝てそうな気もするけど。 その可能性の方が高いけど。 「お腹空いたー!」 そう叫ぶと、空から土がパラパラと降ってきた。 見上げると、兄貴が穴を覗き込んでいた。 「おう、俺も腹減ったぞ。」 「兄貴……」 「早く帰ってメシ作れ。」 「まだ食べてなかったのか?もう何時だと思ってるんだよ。」 「俺が作ると栄養偏り過ぎるから自分が作るって言ったの、誰だよ。」 俺が立ち上がると、眠っていた猫が驚いて飛び退いた。 「あ、見て。依頼されてた猫、兄貴より先に見つけたんだ。」 「はいはい、凄い凄い。」 兄貴は穴の前で座り、右手を伸ばしてきた。 その手に向かって手を伸ばすと、手を叩かれてしまった。 「馬鹿。先に食材と服だ。」 「猫と俺は後回しかよ。」 「この高さでおまえを引きずり出せる自信ねえよ。梯子でも取ってきてやるから。」 「兄貴の手がもう少し長かったら良かったのにね。」 「おまえ……一生、其処にいたいのか?」 買い物袋を預け、梯子を探しにその場を離れようとした兄貴に声を掛けた。 「兄貴。」 「なんだよ。」 「もしかして俺の事かなり探した?」 「んな訳ねえだろ。俺は迷子探しのプロなんだよ。」 そう言って、兄貴は嬉しそうに笑った。 今川さんから兄弟の和み系小話を送って頂きました。 ホントに和みました。有難う御座います^^ 兄貴はキノコを食べないからちっさいまんまだったんですね、新発見ですw 他、私も新鮮な気持ちで読ませて頂いたポイント多数です。 この素敵な小話を元に描かせて頂いた番外編は こちら |